停戦|戦争の体験談を語るわ

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停戦

その後、1995年1月から4ヶ月の停戦が結ばれ、俺は首都で再会した父と共に、
オーストリアに向かい、後に日本に帰ってきた。
結局、この一連のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結するのは、
俺達がこの国から脱出した10ヶ月後の事だった。

1995年7月、安全地帯となっていたスレブレニツァが包囲され占領されたんだ。
多くのボシュニャチが処刑、強姦、拷問され、生き残った中から一部の女性は
解放されたけれど、男性は殆どが順次処刑されていった。

殺されたのは、大人、子ども、男女、老若女男問わず虐殺されたんだ。
犠牲者は、8000人を超えていて、未だに身元がわからない人も多く居る。
もし、サラエヴォから脱出できなければ、僕らはそこにいたかもしれない。

良い人もいれば、悪い人もいる。スルツキが憎い。憎いけど、全てのスルツキが悪というわけじゃない。
どうしたらいいんだ。どうやって生きていけばいいんだ。平穏な日々に戻ってからも、それを悩んでいた。
そして、いつの間にかドラガンに責任を押し付け、うらんで、生きていくようになった。

それも間違いだった。前に書いたとおり、彼は裏切ってなんか居なかった。Facebookで彼の弟を見つけ、
コンタクトを送ったら、俺達がカリノヴィクで襲われた日に、彼は殺されていた。俺達を庇おうとして。
俺達を庇ってくれた仲間を裏切り者として、15年以上も憎んできた、「ずっと仲間だ」って約束したじゃないか、
それなのに、その言葉を忘れて、俺が彼を裏切っていたんだ。

今までの人生が全て崩れるような感覚に陥って、俺はもう生きていけないと思った。罪悪感だけじゃない。
俺には荷が重過ぎるんだよ。気づいたら、会社に退職願を出していた。

丁度さ、いい機会だったんだ。ドラガンの弟から、サニャとかの家族の現住所も教えてもらえてさ。
サニャとカミーユの家族は、全員ではないけれど、生きていたんだ。
だから、まずはドラガンのお墓で謝って、そしてドラガンの家族に謝罪して、そして感謝を述べて。

それでさ、その後は、カミーユの家族に会いに行って、サニャの家族に、サニャの遺品を渡してさ。
全てを終わらせようと思ったんだ。

ただ、ボシュニャチの人との約束の一つ、話を広めるというのは俺には出来なかった。
そして、もう時間もなかった。だから、こうして色々考えた末、vipにスレをたてて、今に至るんだ。

もし何かを感じてくれれば、それでいい。

欲ではあるけれど、俺自身、彼らが何を伝えようとしていたか、そして俺が何を伝えればいいか
考えて、それを少しでも感じ取ってくれれば、なお嬉しい。

大切なのは、素晴らしい世界を願い、それを伝えて、実現に近づけていくことなんだと思う。
文章を書くのが苦手な俺には、俺の気持ちだとか、どんな事が起きたかを上手くは伝え切れなかったと思う。
だけど、もし、読んでくれた中で、何か感じるものがあったとしたら、バルカン半島、ボスニアのことにも
少し目を向けてくれると嬉しい。日本だからこそ出来る事があると思う。

断罪するだけではなく、罪を犯してしまった民族にも、救済の手を、救いの手を差し伸べて欲しいんだ。
それは偽善かもしれない。それは意味がないことかもしれない。だけど、今ある禍根を…もしだよ。
もし取り除くことが出来れば、いつか素晴らしい世界になるんじゃないかな。
僕はそう思うんだ。

彼らが歌ってくれた歌に、そのヒントがあるような気がしたんだ。

”この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう”

彼らが知らない世界、それは、民族融和かもしれない。
でも、それは簡単なことじゃないんだ。

恨みや禍根は、今現在一時的に裁きによって蓋をすることが出来たかもしれない。
だけど、それが消えたわけじゃないんだ。

行いが間違っていても、全ての民族に正義や大義名分があったんだ。一方的に絶対悪にして
断罪しても、その恨みや禍根は蓋で隠されているだけで、子どもたちに継承されていくんだ。

子どもたちに継承された恨みや禍根が、何度も、何度も同じ悲劇を繰り返してきたんだ。

それを断つには、周りの、世界の人々の手助けが必要だと思う。
そして、そういった時に、日本だからこそ出来ること、日本だからこそ
手助け出来る事があると思う。パレスチナとイスラエルの子どもを結びつけたように。

最後になるけれど、この紛争で亡くなった全ての方々のご冥福をお祈り申し上げます。

このスレは、約束を果たすケジメみたいなものだからさ。
読んで何かを感じてくれた人に、ボスニアについてもっと関心を持ってもらえれば、
それで俺の役目は果たした事になると思う。

俺が伝えたかったのは、ボスニアの話であって、俺の事じゃないんだ。ごめんね。
別に悲観的になる必要はないんですよ。安心してください。大丈夫です。

すまんいくつか質問させてくれ。答えにくかったらスルーで構わないから

メルヴィナの行方は分からないままか
>>1は向こうで死ぬつもりなのか
もし何らかの形でこの話が金銭を生んだ場合、>>1が望む使い道(出来れば「勝手に使ってくれ」という解答以外で)

メルヴィナの行方はわからない。
ドラガンの弟も知らないんだ。
探しても、どこにも情報がないんだ。

あっちに行ったら、探してみようとは思う。

出来れば、ボスニア・ヘルツェゴビナの為に使ってくれると嬉しい。
民族融和の活動もやっていたと思うから。

今、あの国は綺麗に民族の分布といったら失礼だけど、住んでいるところが綺麗にわかれているんだ。
そして未だに問題は解決していない。あっちの偉い人が言ってたけど、
未だに「世界の火薬庫」のままなんだ。それを解決する為に使って欲しい。

それじゃ、長い時間、そして長文なのに最後まで読んでくれてありがとう。

待ってくれよ、まだわかんねえよ
なんで>>1まで死ななきゃなんねえんだよ
大丈夫じゃねえよ・・・

>>1乙

最後まで書いてくれてありがとう!

ボスニアの事、俺ももっと調べてみるよ
でも、この民族の架け橋役は>>1ほどの適任はいないと思う

多くの人が目にするvipにスレを立てたことは間違ってないと思うよ
実際、俺はこの戦争に興味を持って話に耳を傾けているし知るきっかけを作ってくれたお前に感謝してる
でも祐希がこれから出会う人々、嫁、子供、孫に直接話し聞かせてやるって選択肢も間違いじゃないと思うよ

とりあえずカミーユやドラガンたちが命を張って守ってくれたお前の成長した姿を胸を張って見せてこい
何年恨んでたってドラガンとは謝っても許してくれないって仲じゃなかったんだろ

>>1乙 考えるきっかけをくれてありがとう

お疲れさま、書ききってくれて本当にありがとう

託された命、終わらせないでね

ああ・・・。ごめん言い忘れてた。この話の全ては信じないで。
日記を元にしているから、実際は間違っている事もあるかもしれない。
こんなこともあったんだと、感じてくれればいいんだ。
自分自身で調べてくれるのが一番いいけどね。

俺よりも辛く壮絶な経験をした人は沢山いるんだ。
紛争を生き抜いた孤児たちは、心に大きな傷を負って暮らしているんだ。
それは一生消えることはないと思う。

さっきボスニアのためにっていったけど、こういった世界の子ども達や人々の為に、たとえ金額が少なくても
寄付なり何なりしてもらえれば、嬉しいです。

俺の事は本当に大丈夫だから。心配しないで下さい。それじゃ、元気でね

聞きたいことが山程あるが、相応しい言葉が出て来んわ・・・

お疲れ。ありがとな
でもやっぱり俺が感じてた「書き終えた時の不安感」は残ってしまったよ
皆がくれた小さな贈り物は手放してほしくないなあ
できればまた日本に戻ってこいよ


話を聞けて良かったよ
これからも生きていてな
おやすみ



これ以降は大量の荒らしによるスレッド埋め立てによりdat落ちのため割愛。
後日、投稿者さんが現れます。


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